パリが動く、針がくるう

何故か、なかば本気で投稿するつもりで、絶対に書くつもりのないことを書き綴ってしまった。自分の怨念に燃やされて(?)今日は珍しく目にくまができている。くまができることはそんなにないので朝かがみで顔を見てびっくりした。もう去った怨念の、ゆうれいのしっぽをわたしはときどきまだ見ている。

今日からカフェもレストランも美術館も劇場も解禁!まだまだわくわくしてる場合じゃないんじゃないの…?といぶかりつつも、あちこちから飛んでくるexpoや催し物の頼りに、ああ、帰ってきた!という気持ちが湧いてくる。自分でもちょっとびっくり。この生活がもうちょっと続くことを覚悟しつつも、待ちわびてもいたんだな。

ポンピドゥーで始まったアッバス・キアロスタミ特集がすごい。46ものフィルムを公開とのこと。未公開のものもあるらしいし、傷んでいたフィルムを修繕したりしての公開になるらしい。すごーく気になるのだけれど、夏前まで加速度的に忙しくなりそうなのだよな…年間パスを買って入り浸りたいくらいだけれど、この引きこもり期間で腰も重くなっているし、行きたいものいくつか選んでいくくらいにしよう。しかしすでに予約がどんどん入っているな。みたいもの早めに決めないと売り切れてしまう。

www.centrepompidou.fr

 

こうしてニュースレターとしても機能する場所で書くのもいいけれど、やっぱりなんとなく、いろんなひとの日記がうっすらと繋がるくらいの軽さのやりとりがしたい気もしている。日記をかいて、その日記に誰かが答えるようなこたえていないような感じで書いて、またそれにお返事があったり、別のひとからも返事があったり…と網目状に往復書簡ができるようなやつ。返事ができる仕組みとしてはMediumがなかなか良かったんだけどな…。

なんて、ひとりで考えているだけで、誰のこともまだも誘っていないし、ただ思いつきを書いてみているだけ。

今年は寒い5月だな。こちらに来て最初の5年くらいは毎年の季節の様子を予想したりはずしたりしながら「日本とはこういう風に違うんだな」「去年と比べるとこうだから、例年こうなのかな」「いや、今年はまた違った」という風にだんだん統計が重ねられていっている実感があったのだけれど、去年くらいからなんだか分からなくなってしまった。5年より6年、6年より7年のはずなのに、記憶が薄れていっているというのもあるしだんだんいちいち感覚を季節の変化に研ぎ澄まさなくなったのかもしれない。もしくは、この1年家にこもりきりだったことでそもそも1年まるごとのことが分からなくなっているのかもしれない。

大阪、また京都、大阪、それから

銀閣寺の近くで抹茶シェークを飲んでいた私に友達から連絡があって、疲れていたらしい私は最寄り駅からすぐ大阪にむかってしまった。
大阪で合流して初めて、あら…そういえば私身軽だな…ということに気付く。
京都駅のロッカーに大きな荷物を預けてきたのをすっかり忘れていたのでした。
また電車で取りにいってその往復にぐったり。

大阪は買い物の大阪になった。
CA4LAでどうしてもほしい帽子があったので見に行ったり(結局なかったけど)大好きな雑貨屋さんの本店に立ち寄ったり。

大阪は少し外国みたいだなぁ。いい意味で少しラフであまり他人に干渉しない…ように感じる。ひとに求めるよりひとを見て自分がどう動く、ということを考えているような。
まあでもこれも私の友達から感じることを含めての印象だから、限られたものなんだろうと思う。


ものすごく疲れた。
明日会社なんて信じられない。
でも楽しかったから大丈夫だ。


お薦めいただいた和菓子やさんやライブにはいけなかった。
ごめんなさい。
でもありがとうね。

旅のあいだちょこちょこコメントを覗いて、うれしくなりました。
少しずつお返事します。
ありがとう。


さて、明日からラスト一週間。
忙しくも楽しい年末になりますように。


あっ、その前に、素敵なクリスマスをお過ごしください。

月のかさ、双子、終わらない話

イブの日、夜遅くに帰ってきていつものように空を見上げたら月に大きなひかりのわっかがかかっていた。
思いがけぬプレゼントのように、その景色はわたしから冷たい空気も重たい荷物も一瞬のうちに奪っていった。
できることなら友達に電話をかけて、今の月を見て、と言いたかったけれど封印されたみたいにそのことに満たされて閉じ込めてしまった。
神々しくて同時にほんのりまがまがしい、なのに堂々と打ち上げられた秘密みたい。

明け方にうなされた。
はっきりと起きているのに思考が絡まって夢のような妄想がとまらないことがまれにある。
バスでの窒息もその仲間。
今日私を困らせたのは赤毛のふたごの50歳くらいの女性で、ふたりは同時に私のなかから出てゆこうとして出られず、なのに私の忠告をききやしないのだった。


守りたいひとに守るものを送り、創ってほしいひとにちいさな世界を送り、ふたごのかたわれに秘密をおくる。

どんなふうに変わってゆくのかな。
今は恐れはない。
昔よりもずっとずっとつよく、やわらかになりたいと願うから。

池田満寿夫、銀閣寺

お茶をしてたら銀閣寺行きのバスをみつけた。
そうだ、銀閣寺に行ってみよう。ということでバスについて、歩く。
途中平安神宮に寄ると池田満寿夫の版画展をやっていた。以前から見てみたかった作家でもあるので思い切って入ってみる。
版画をやってみたばかりだから(版画というよりただの木彫りだったけど)こういう残し方をするには結構浅く彫ったんだろうなぁ、とか思いながら見た。一度やってみただけなのになんてずうずうしいんだろう。
ドライポイントという書き方?が好きだと思った。
色の選び方と配置が絶妙だと思った。あと汚しのタイミングも。
中期の作品が好きだ。
手の指の描き方や、やわらかい肉の中にときどき骨の突端を感じるからだのラインがいい。

この美術館には他の作家の作品もコレクションされていたので、そのことはまた。


ときどき来るバスを頼りに歩いていてふと不安になったので犬の散歩をしている街のひとに道をきいた。
そうしたらえっ?ここから歩くんですか?30分くらいかかりますよ、と言われた。だから、京都駅からずっと歩いてきたから大丈夫です、と言ったらやっぱりとても驚いていた。
犬が私のマフラーめがけてなんとか飛んでこようとする。目が、好奇心と優しさで満ちてる。こらこら、と怒られながらもぐいぐいわたしに構おうとする。
ひとが好きなんですよ、とその人。
可愛いけれど犬には慣れてないからついおっかなびっくりになる。鼻を撫でたら手をぺろんと舐められた。
そうだ、あの小さな川沿いに歩いていけばもっと早くつくかもしれない、と飼い主さん、思い出してくれる。
川沿いのほうが歩くのはうんと楽しいのでうれしかった。

20分くらいで銀閣寺へ。
地味な印象のお寺だけれどものすごいひとだかり。しかも徹底してこだわった見せ方をしているから道が細くて、ゆっくり写真も撮っていられない。なるべくペースを乱さないように歩く。
銀閣寺は太陽が昇ったら、苔の緑と土の茶と砂の銀に輝くお寺になるんだろう。湿った銀閣寺も素敵だったけれど次は晴れている木漏れ日の中の銀閣寺も見たいと思う。

帰りもまた鴨川を歩きたいなぁと思ったけれど、銀閣寺の庭の山を降りるときに足が少しがくがくしていた。朝の7時からずっと3時まで歩いたから当然なんだけどちょっとびっくり。
よく考えたらご飯もろくに食べてないし。歩いていると食べることを忘れる。
足が震えちゃって可哀相だったから抹茶シェークを飲んで、バスと電車で帰ることにした。


明日は大阪。

鴨川で尾行され先回りされる

地図をロッカーに入れてしまったので勘でずんずん歩いた。
歩きながら、京都は碁盤の目になっていることを思い出して少し安心する。
まだ街は全然目覚めていない。どこもシャッターが閉まっていて、騒がしくしているのは鳥たちだけ。
雨がぱらぱら降っていてお堀やみずたまりに小さく波紋をつくっている。ときおり出会う、出掛けのひとは空をみて傘を持とうかもつまいかを思案している。
おねえちゃん、と声をかけられたので振り向くとおじさんが傘かしたろか?と言う。大丈夫です、ありがとうと笑うとおじさんはぴょんぴょん走っていってしまった。

鴨川に出会ったのでずうっと北へむかった。
川の方に降りて見上げたり、かもに目線をあわせたり、橋をくぐったり。
橋のしたにはかならずブルーシートでできたおうちがある。TVのアンテナがついていて選択物干しもぶらさがって、生活が整っている。
川のくらがりを見ると『IT』を思い出してしまう。闇を含んだ水は恐いのに、覗き込みたくなる。

あやしい灰色のサギのような鳥にまた出会った。目黒川でであったぺてん師みたいなあいつ。
ただまっすぐ立って、にせものの監視カメラみたいだ。
わたしが気付いてしまったことにやつも気付いたみたいで鴨川のところどころでわたしを見張っていた。
4度くらい遭遇したのだけれどそのたびにもうずっとそこにいたかのような顔をしている。
気配を隠してるつもりらしいけれどその動かなさが余計に目立っている。
なにが怪しいって、サングラスをかけていてX脚がぴんと伸びているところ。羽根をきしっと乱れなくたたんでいるところ。


本能寺まで歩こうとしたんだけどわからなくなったし足が痛いから三条でひとやすみ。

しらないまちを歩くとそこが日本でも外国みたいに感じる。
ひとりじゃなくても孤独のことを考える。
淋しくはない、ただこどくのこと。

閉所恐怖症

バスが暑すぎて、眠れない。
ブランケットもマフラーも外して少しでもひやりとする窓に顔を近付ける。
そうか、暑いことじゃなくて私は今息が苦しいことでもがいていたんだ。
酸素が足りない。
窓が開かないバスでこれ以上息が苦しくなったらどうしたらいいんだろうと思うとさあっとからだが冷えた。
息がとにかく苦しい。
でもみんなすうすう寝てる。
だんだん恐くなる。
息が苦しくて、どこかに隙間がないか探すけど…隙間はない。
窓にてのひらをつけて冷たさを感じながら、そこから酸素がとりこめたらいいのにと思う。

狭いところにじっとしていなきゃいけないことが恐い。
息がうまくできない体勢を長いこと続けなきゃいけない状況が恐い。
トランクに入ってポーランドに忍び込むなんて絶対できない。

息苦しくて汗すらでてくるのに、まわりのひとは何もかんじていないみたいだ。


たまに、夜中に受けた小さな不快はどうしようもないくらいの大きさで私を繰り返し襲う。
からだの内側のどこかが子どもみたいにぐずる。
けれど今はおとなだから、ぐっと歯をくいしばることもできる。

苦しい。ほんとに。なんで?


ちいさいころから私はわたしのなかの両極にいつ、引き裂かれてしまうんだろうと恐れていた。


はやく朝になって。